曼珠沙華の咲く丘で


 農道のようになった脇には一面に曼珠沙華が咲き誇り、
道に赤く縁取りをほどこしていた。
 
 行き止まりで二人は車を降り、山の抱える丘まで歩くことにした。
 小高くなったその場所は、いま走ってきた道をふくむ、農地がほとんどを占めた小さな盆地全体を見下ろすことができる。
「絶景じゃな」
 信玄が口元を綻ばした。
 曼珠沙華が丘を多い、ゆるやかに傾斜した斜面全体を燃え上がるような朱に染めて。
 対面から射す太陽が、神々しいまでの黄色い光で、眼下の田地を金色に輝かしている。
 その幻想的なまでの景色を、信玄と高坂は、四百年前の主従そのままの立ち位置で、しばし言葉もなく見つめていた。

 不意に、
「うぬは羅刹になろうとしておるな」
 信玄の言葉に、高坂は怪訝そうにその顔を振り仰いだ。
「……ご冗談を」
「戦国の世では、おまえは羅刹になるまいとしておった。
 死者を弔い、争いごとをなだめ、負け戦から帰る同胞を助け」
「あの時代、鬼になるのは簡単でございました」
 高坂は唇におだやかな笑みを乗せる。
 だが、信玄は低く声を押し出した。
「いまのこの生ぬるい世風の中で、羅刹になるのは簡単ではなかろう」
 高坂はまじまじと信玄の顔を見つめた。
 ゆたかに実る黄金の田を見渡す、信玄の表情は読めない。
 夕風が信玄と高坂の間を通り抜けた。
 信玄が目を細める。
「わしを蘇らせた目的は何じゃ」
「天下取りにございます」
「いかにもわしは、京を目指そう。
 生まれ持った本能でな」
 信玄は振り向いて手を伸ばし、そっと高坂の頬に指を触れた。
 高坂は目を伏せる。
「……お屋形様」
「ともにいつまで歩けようか」
(おまえは変わってしまった)
 信玄はそう言っているのだ。
 内藤が気づいたなにかに、信玄も気づいたのか。
 高坂は神妙な顔で信玄の顔を見上げた。
「だが、二度与えられたこの命、わしも悔いなく生きようぞ。
 おまえはおまえの道を行くがいい」
「お屋形様」
 もしやすべてをご存知なのか。
 高坂は一瞬だけ、心を通り抜けた思考を捕まえた。
 そして本心を口にする。
「わたしの誠の主はあなた様だけにございます」
 微笑みを受け止めて、信玄ははじめて破顔した。
「知っておる」
 腕組みしてくるりと背を向ける。
 ついてこいと言っている、その背中。
 踵を返しかけながら、高坂は少しだけ、寂しげに赤い花に視線を向けた。
 曼珠沙華、死に人花よ、まだしばらくは咲き誇れ。
(うつつの夢はすぐ醒めようが)
 目的のためのその日まで、まだしばらくは昔の夢を。




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