サイレンス



 ふと目が覚めた。隣に高坂の姿がない。
 寝ぼけ眼のまま視線を上げると、部屋の中、かすかに外気がしのびこんでいるのが分かった。
 雨の匂いを含んだ、冷たい空気。
 目をこすりながら起き上がり、リビングに出ると、やはりベランダが薄く開いていて、高坂が手すりに覆いかぶさるようにもたれかかり、千秋のタバコをふかしていた。
「なにやってんだ」
 千秋はガラリとベランダを開ける。
「しっ」
 高坂は、タバコをはさんだ華奢な指を赤い唇に当てた。
「声が響く」
「ああ」
 千秋はあわてて口を押さえ、高坂の握っていたパッケージを奪い取って、自分も一本口に咥え、隣に並んで、遠くに見える都心の夜景をながめた。
 雨上がりの夜は空気が澄んで、ネオンがよりいっそうきらきらしく夜空に映える。
 だが、この夜空の晴れ間もつかの間なのだろう、強い風が嵐の予感を運んでいる。
 ときどき思い出したように吹く強い風に髪を遊ばせながら、高坂が溜息をついて、物憂げな表情で手すりの上で組んだ腕に顔を埋めた。
(珍しい)
 千秋は不思議な気持ちでその横顔を見つめる。
 長い睫毛に縁取られた黒い瞳が、ビルの明かりを見つめながら物思いに沈んでいる。
 千秋のタバコがちびたところで、二人はいいかげん冷えたからだを室内に戻し、黙って同じ布団にもぐりこんだ。
 やっと体のおさまりをつけたところで、
「なあ、なんか懸案事項でもあるわけ?」
 千秋は、高坂のつややかな髪をひと束ひっぱりながら尋ねてみた。
「お前さんが積極的にタバコ吸うなんて珍しいじゃねえか」
「いや、別に」
 言うものの、高坂の顔は浮かない。
「ひょっとして、今回は武田から家出なわけ?」
「どうしたらそういう発想になるんだ」
 高坂はうんざりしたように目を尖らせ、寝返りを打って千秋に背を向けた。
「長くってどれくらいいるんだよ」
「なんなら今すぐでも出て行くが」
 千秋はごつっと高坂の頭をグーで殴った。
「アホか、痴話喧嘩してんじゃねえんだぞ」
 高坂は殴られた体勢のまま、しばらく動きをとめていたが、やがてくっくっとのどの奥で笑った。
「痴話喧嘩、な。
 平和だ」
「はあ?」
 千秋は気勢をそがれて眉を寄せる。
 そして、背中から抱きかかえるように抱きついて、高坂の形のいい細い顎を触ってみた。
「なに言ってんだよ」
「敵と味方、同衾して痴話喧嘩なんて平和ではないか」
 高坂は丸めた背を向けたまま笑う。
 それがやけに悲しくて、
「月にも行く時代にさ、おれらユーレイが上杉だの、武田だの、とっくに滅びた国のことでドンパチやって、……馬鹿みたいだとは思ってるさ」
 千秋は言い訳みたいに呟いた。
「仕方なかろう、闇戦国と言うからには」
 高坂はケロリと言い放つ。
 自分はおれと寝るくせに。
「お前、なに考えてんの」
 とげとげしい千秋の声に、体をひねって振り返った高坂は菩薩みたいに優しく笑い、なぜかそれがすごく悲しく思えて、千秋は思わず胸を突かれた。
「あーあ、もう面倒だ」
 千秋はがくりと肩を落とす。
「駆け落ちしよーぜ?」
 高坂はふふっと笑って、
「願い下げだ」
 そう言いながらまた寝返りを打ち、こちらに背を向けた。

 がたがたと窓ガラスが鳴っている。
 ビル風の唸りが近い。
 静寂のあとに嵐が来る。
 嵐が。



ウェブ拍手より頂いたリクエストSS
「高坂を駆け落ちに誘う千秋」でした。
えーと、いかがなものでしょうか。
梅雨のせいか湿っぽい話になっちゃいました。
すいません。

end.