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(景虎は弥勒を封じれぬ) もう奴は神になろうとしている。謙信を思い出す。 だが景虎は謙信を凌駕した。あらゆる苦しみに耐えるものの代弁者。 弥勒の悟りの興味が向く方向ではないが、景虎の強大な力を食うことに弥勒は何の躊躇もないだろう。 だが、愚かな人は仏さえも手にかけれよう。 すべてが終わったとき、ただ危険なだけの弥勒を誰かが封じられるとすれば、そのきっかけは全霊をかけた愚かなまでの人間的な衝動しかない。 人間の未知数を凝縮したがむしゃらさ。たとえば、直江の生き様のように。 (そういう愚かさこそが、この世の未来を救うのかも知れん) 長いときを経て自分にはなくなった、その愚かな衝動が。 昔には自分にも、揺らぐ気持ちがあったはずだ。 欲も愛憎も人並みには。 だが換生を繰り返すたび、目的に近づくたびに、すべては切り捨てられていく。 (最短距離を走るようになる) 信長を倒せれば、安き眠りにつけるのだと、おぼれてもがく人のように、ただひたすら岸を目指し、誰の体を踏みつけようが気にならなくなる。 だがもし目的もなくこの時間があったとすれば、瞬間は普遍となり、すべてが平らかに見えよう。 なにごとにもそれほどは心動かされぬ。 だがそれは人と呼べようか。 (私も昔は直江のように見えたのかな) ふと思って、高坂は自分の思いつきにムッと眉を寄せた。 あそこまで愚直ではなかったと思いたい。 と、 「あいつ、そのうち食ってやる」 譲がぽつりとつぶやいた。 聞きとめて、高坂は目元だけで微笑む。 弥勒もまだ『人』なのだ。その心あるうちは、まだ希望は残っている。 今を生きるのが人というもの。 そういう意味では、四百年経っても彼らはまだ『生きている』。 さすがにその三倍も生きると、目的に関係ない部分、心が石化をしても来よう。 だが弥勒の力を手に入れて、信長を倒せれば、この生なき生はもう終わりにできる。 『永遠の強き命を求めるものを殺すための、終わりなき命』 皮肉なパラドクス。 強き生を求めるものよ、その死を以って弱き我に死を給え。 夜の香りを含んだ風が、ざわざわと木々を揺らす。 踵を返して歩き出した譲の背を追いながら、高坂は光り始めた雲間の月を振り仰いだ。 |