おもいだせるおもいだせない


 数分でリビングが空になった。
 千秋はドアから首を突き出し、エレベーターに乗り込む直江に手を挙げて挨拶したあと、部屋を振り返ってため息をつく。
 この酒臭さ、どれだけ換気したら取れるだろうか。
 それ以前にもう一つ。
 小走りに寝室に戻り、ドアを開けたらやっぱりさっきのは幻ではなかった。
 布団から顔を出して、高坂が楽しげに千秋を見上げている。
「始発、とっくに走ってるぞ。帰れ」
 布団に手をかけながらいうと、
「そうだな」
 意外に素直に布団から這い出て、高坂はばさばさになった髪を手櫛でひと梳きした。
「あのさあ、そんな簡単に、するする他人の布団に入るわけ?」
 千秋の皮肉は、高坂の気持ちを逆撫でするかわりに、なにかよろしくない回路に火をつけたようだった。
 ベッドの上に座った高坂の顔が意地悪な表情になったのはわかったが、なにを考えているかまでは分かるわけがない。
 いきなり服をひっぱられて、気がつけば千秋は高坂の上に覆いかぶさる形になっていた。
 首をがっちりホールドされ、
「400年前のモラルの基準を思い出させてやろうか?」
 間近で朱い唇がささやくさまは、それだけでいやらしい。
 自分を抑える高坂の腕の内側が、
(うう……もち肌だ)
 そういうことを考える冷静な脳みそが嫌だ。
 動悸が激しすぎて冷や汗が出てきた。
 とりあえず眼鏡を外して、額の汗を拭う。
「わ、分かった。
 妥協するから。とにかく出ていかねえ?」
 まばたき一つののち、高坂が勝ち誇ったような流し目になった。
「それは『お願い』ですかな」
「えーと、そ、それでいい!
 お願い!」
 なんだかこっちがぐったりしてくる。
 高坂はふふ、と笑った。
「断る」
 千秋は一瞬耳を疑い、次に腹の底から怒りがわきあがってくるのを感じた。
(きいいいいー!!)
「貴様、いま、今すぐ調伏してやる!」
「できるものならな」
 千秋の拳を白刃取りの要領で受け止めて、高坂はにやにやしている。
 指をすっと出し、首もとの肌をそっとなでられた。
 それだけで背筋がぞわぞわする。
「や、やめんかー……!」
 言う声もふるえがちで分が悪い。
 くくっと喉で笑い、高坂は千秋に顔を近づける。
 どアップになる白皙の美貌に、千秋は息を飲む。
 色気の権化、とでも言えようか。
「さてどうする、安田」
「ど、どうするって……!」
「思い出しておくか?」
「なにを」
「白々しい」
 高坂の指先が千秋の顎を捉えて横を向かせ、
(みみみみ、耳噛まれたー……!)
 千秋は目の前が黒いような白いような色になるのを覚えた。
 冷や汗はもはや体中、滝のようにぐっしょり服を濡らしている。
なんでこんな動悸がするのかわからない。
こいつは敵だ、敵なんだ。
何度も口の中で繰り返すが、体が言うことを聞かず、思わず華奢な手首を掴んでいた。
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