ノスタルジア ノスタルジア


 怨将退治に時間は関係ない。
とはいえ、霊が活性化するのは夜と相場が決まっていて、 千秋が腕時計を覗き込むと、あと三十分で始発電車が走り出す時間になっていた。
 しらじらと明るみ始めた東の空を背にして、セフィーロが滑るように走り去る。
あのまま直江は松本まで高耶を送るつもりらしい。
綾子も眠い目を擦りながらバイクで帰っていく。
 千秋はその後姿を見送って踵を返し、タバコを咥えながら欠伸をかみ殺した。
 24時間営業のファミレスにでも入るか、それとも一駅歩いて時間をつぶすか。
幸いにも疲れはありこそすれ、体自体にはそんなにダメージがない。
 国道をまたぐ陸橋を登りきり、ふと人の気配に目を上げる。
歩道橋の中央の朝焼けの光の中、そこだけ夜を引きずったような黒髪の男が、手すりにもたれかかって目覚め始めた街を眺めていた。
 思わず立ち止まった千秋である。
 男がその気配に気づき、顔を上げて、朱を刷いたような赤い唇を微笑の形にゆがめた。
「これは安田の、久方ぶりだな」
「……てめえ、なんの真似だ」
 言いながら、すうっと血が下がる。
ことによってはここで戦闘だ。嬉しくない。
「言いがかりはよしていただこうか」
 高坂はいつもの、人をバカにしたような顔で唇をゆがめた。
「公共の道にいて何が悪い」
「俺の進路だってことに意味はあるのか」
「ないが……そうだな」
 高坂はなにかを思いついたようだ。
「これも何かの縁だな。
また帰り損ねてな。一晩の宿を所望したい」
「断る!」
 いつぞやの悪夢再びだ。千秋はぐしゃぐしゃと髪をかき回した。
「そうか、では結構」
 言いながら、高坂は手すりに寄りかかると、のけぞって目を瞑った。
首元の白い肌に、今朝一番の太陽の明かりがかかる。
その顔がいつもと違って生気がないように見え、千秋ははっとした。
「なに、今晩は暗躍してたわけ」
 言いながらも、事情を聞けばまたお人よしになってしまう、と早くも後悔していた。
「暗躍?さあ、どうかな。
 貴様同様、寝てないのは確かだ」
 チラリと片目を開け、高坂は気だるげに言い、人差し指と中指でそっと唇を擦った。
 そして、思い出したようにポケットからタバコを取り出してくわえる。
「……お前、タバコ吸ってんだ」
 新しい発見だ。千秋は意外そうに言いながら、寄ってきた高坂のタバコの先に火を分けてやった。
息を送ると、合わせたタバコの先、ちりちり、と音を立てて赤く火がつく。
そのとき、高坂の伏せた目の下にうっすらクマができているのを見つけてしまった。
「悪いか」
 言いながら、高坂はまた手すりによっかかり、いかにも人の悪い顔をして、長い煙を吐き出した。
「好きじゃないが、吸うと感覚が鋭敏になる。
 貴様らもそれで吸ってるんじゃないのか」
「いや、これは単に」
 そういえばなんで吸ってるんだろう。千秋はつい考え込んでしまった。
 だがはっとして、
「つうことは、お前いま疲れてるな」
「寝てない、と言っただろう。
 調伏してみるか」
 それがあまりにも元気のない、やる気なさそうな挑発だったので、千秋はついついかわいそうになり、またいつもの癖を出してしまったのである。
「まあ、ドンパチやる気がねえなら連れて帰ってやってもいいけど、うち、電車ねえと帰れねえんでな」
「タクシー代は武田が出そう」
 間髪いれずに高坂が言うのがおかしくて、千秋はつい噴きだした。
「領収書、落ちるの?」
「さあ」
 肩をすくめながら笑いを閃かせ、高坂はまだ長いタバコを投げ捨てた。



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